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東京地方裁判所 昭和28年(む)1337号 決定 1953年10月28日

被告人及び弁護人の表示別紙記載のとおり。

別級表示の第四組の被告人らに対する各頭書被告事件につき昭和二十八年九月二十二日被告人生井宇平、同西貝京右衞門、同吉田実雄及び弁護人石島泰、同蓬田武、同風早八十二、同神道寬次、同小沢茂、同上田誠吉、同青柳盛雄から、別紙表示のその余の各組の被告人らに対する各頭書被告事件につき同年十月三日別紙表示の弁護人らからそれぞれ東京地方裁判所刑事第十一部裁判長裁判官浜口清六郎、裁判官平野太郎、裁判官大沢龍夫に対する忌避の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件忌避の申立は、全部これを却下する。

理由

右騒擾等被告事件の第四組についてなされた忌避申立の原因の要旨は、以下一乃至三記述のとおりである。

一、本件公訴事実の「罪となるべき事実」の範囲については、本件起訴状によつてはそれは明確に表示せられていないのであるが、検察官が旧各組第二回公判等における起訴状に対する釈明によつて、「罪となるべき事実」の範囲は起訴状公訴事実中「在日米軍司令部附近に到るや…」以降の暴行脅迫にあることが明らかにせられた。(例えば第三組第二回(二月二十日)公判調書)これは訴訟当事者間に於て争いのない事実である。

然るに検察官は起訴状に於ても右「罪となるべき事実」の記載に先立ち「かねてより……暴力を以て占拠すべく企図していた……過激な……」等裁判所に予断を与えるおそれのある誇張的言辞を連ねて「事情」と称する部分を記載しているだけでなく冐頭陳述に於ても右「罪となるべき事実」に該当する部分に先立つて右「事情」に関する部分を長々と述べ而も証拠調をもその部分から取調べるべきことも請求した。かかる証拠調の請求は裁判所が何らの予断なく先づ「罪となるべき事実」の存否の立証から開始すべき証拠調の根本の原則に反するのみならず本件に於ては検察官自身の主張する「騒擾の始期」である在日米軍司令部前に於て「静謐を害するに足る多衆聚合しての暴行脅迫」が果して存在したか否かについて何らの偏見予断なしに証拠調をすることが緊要であるに対し検察官の右の如き証拠調請求の意図は冐頭陳述中の「彼等の行動は既に著るしく集団的に不穏な様相を帯びていた」「日比谷公園に近づくにつれて著るしく暴徒化の兆候を顯著にして来つた」等の文言に露骨に現はれている如く裁判所をして該「罪となるべき事実」そのものの存否の証拠調をする際に既に当日のデモ隊に対する一つの予断偏見を抱かしめることにあることは明らかである。而して検察官の意図は兎も角とするも裁判所がかかる「罪となるべき事実」そのものの証拠調の前に右の如き「事情」の証拠調をなすことは客観的に見て裁判所が、事実認定に一つの予断を抱く結果になることは明白である。依て弁護人は、かかる証拠調の請求に対してはそれが不要であるだけでなく、不当である旨を意見として強調したのである。然るに裁判所は前に公判期日に於て右の如き経緯を十分に知り乍ら、実に検察官請求の前記「事情」部分立証のための証人二十六名のみを決定し、他の「罪となるべき事実」関係の検察官、弁護人請求の証人全部を留保した。

弁護人は更めて前記の如き理由に基き右決定に対し異議を申立て裁判所の再考を求めたが、裁判所は法廷に於て形式的に合議の形をとつただけで即座に異議を棄却した。ここに於て被告人及弁護人は裁判所の全構成員を以て前記の如き偏見予断を抱く可能性を知り乍ら敢てかかる証拠決定を行つたものとして到底今後に於る事実認定に於て公平を期し得られざるものであり不公平な裁判をする虞があるものと考えざるを得ざるに至つた。

二、更に本件被告事件について、被告人弁護人は冐頭手続に於ける被告事件についての陳述の際、本件記録に明かな通りの諸種の理由によつて公訴棄却の請求をなした。裁判所はこれに対し、各組第十一回公判において、公訴棄却請求に対する裁判所の一応の意見としてこれについての判断を留保する旨の見解を示した。而して、その際特にその「第二」として弁護人の『起訴状及これに対する釈明によつて明かになつた検察官の主張自体によつて、当日の混乱は、検察官の二重橋前における違法な解散の実力行使、即ち集団的な不法暴力行為に端を発したものであることにならざるを得ず、当日のデモ隊の行為はこれに対する正当な防衞行為であることが自ら明かになつたのであり従つて証拠を取調べるまでもなく、「罪となるべき事実を包含しないもの」として公訴を棄却すべきである』との請求(この点についての裁判所の右「意見」における整理は若干不正確であるが)に対し、始め裁判所は、これに対して「検察官のいう既に始まつている暴行脅迫の鎮圧等としての措置の問題は解決されない。」との見解を発表した。然し乍ら検察官が「二重橋前に於ける解散行為」について「既に始まつている暴行脅迫の鎮圧」だと云つた事実は記録上明らかに存在しないのであつて、逆に、検察官は馬場先門から二重橋に至るまでは、「現実に暴行脅迫は行つていない」と明言しているのである(例へば第五組第三回(三月十一日)公判調書)。そこで弁護人は右の如き裁判所の見解に対し、検察官が「既に始まつている暴行脅迫の鎮圧」と言つているとなす記録上の根拠を求めたところ、裁判所は遂にその根拠を示すことが出来ず、第五組の公判に至つて右の見解を撤回しこの部分を修正するに至つた。

この時に於て被告人は、すべて右の如き裁判所の見解は検察官の主張せざることまで被告人に不利に解釈し、主張したとなすもので、裁判所に不公平な裁判をする虞を抱かしめるものであるとの印象を強く受け忌避の意見さえ出たのであつたが、弁護人は、裁判所が虚心に誤つた見解を撤回したものと解し更に裁判所が警察官の最初の制止解散行為が違法なもので急迫不正な侵害であつたか、またデモ隊側の行為が正当な権利の防衞の範囲に属するものであるかについて判断するため「右制止解散時に於ける警察職員側及労働者側の各行為の態容や程度を証拠によつて確定する必要があり」而して後に弁護人の主張する法律問題即ち公訴棄却の請求について判断したいと考えると述べ更に公訴棄却の問題については「今後の事件の審理の経過に於て絶えずこの問題を検討して行くことにする」と確約したので暫く裁判所に対する信頼をつなぎ「今後の審理の経過」における裁判所の態度に期待することにした。

然るに裁判所は、証拠決定に当つて右の如き確約を全く無視してしまつた。裁判所が真意を以て前記の如き見解を示したのであるならば証拠の決定に当つても裁判所は当然先ず右留保の理由となつた事実調べの必要の範囲を検討し、その必要範囲内での事実を証拠によつて確定し留保した公訴棄却請求についての判断を為すべきである。

然るに裁判所の今回為した前記の如き証拠決定は、右の如き裁判所自らが示した意見及び確約と全く縁も因りもないものである。

これによつてみれば裁判所が先に示した公訴棄却についての「一応の意見」なるものは、全く被告人弁護人が提起した公訴棄却請求についての問題に対する正面からの回答を、唯回避するだけの為に、且爾後それに基いて審理進行上の態度をきめるという一点の意志もないのに恰かもその意志があるかの如くに装つて、被告人弁護人の問題提起を外らし唯訴訟を進行することをのみ汲々として図つたものと言わざるを得ないものとなつた。

而して同時に弁護人が「虚心に誤つた見解を撤回したもの」と善意に解した裁判所の前記の如き見解の撤回変更もこのことから見れば結局は、真意に於て見解を虚心に更めたのではなく、唯訴訟を進める丈の目的で表現を変えて問題をごまかしたものと考えざるを得ないに至つた。即ち前記の如き「検察官の主張せざるところまでも被告人に不利に主張したものと解釈する」という裁判所の態度が実は改つていないと考えざるを得ないのである。

ここに於て弁護人は、かかる明かに被告にとつて不利な誤ちを犯し而もそれを真意から改める誠意の認められない且つ実行の真意なきにも拘わらずその意思あるかの如くに装つて問題を外らして、訴訟の進行のみを図るための食言を敢てしその揚句、証拠決定に於て、前記(三)の如く、検察官の主張のみを鵜呑みにして、全く一方的な証拠決定をなすに至つた裁判所に対し到底公平な裁判を期すること能わざるものと考えるに至つた。

三、仍て被告人及び弁護人は前記公判廷に於て裁判所を構成する前記三裁判官に対し「不公平な裁判をする虞」のあるものとして忌避の申立をしたのである。

然るに、浜口裁判長は右忌避申立後俄かに感情的に強圧的な訴訟指揮を始めるに至り遂に法廷警備員なる者に対し「今後傍聴人で拍手をする者があれば裁判長が改めて退去命令をなさないでも警備員は退廷を執行するように」という驚くべき「指示」(裁判長の言に従えば)をなすに至つた。

即ち公判廷に於て裁判長はある特定の者の行為の有無についての認定も、その行為が裁判所法第七十一条第二項に該当するか否かの認定も自ら放棄してその権限を警備員と称する者に移譲し、裁判長が退廷を命ずることなしに警備員が実力を以て退廷させるという、法廷警察権の部分的放棄にも等しい発言をしたのである。

而も裁判長はかかる違法な訴訟指揮に対して異議を申立てた被告人の発言を、全く禁止し、これに対し何らの警告も与えることなしに「退廷命令」を出すと同時に、自主的な退廷を促す余裕もなく忽ち警備員に執行を命じ多数の警備員が法廷に雪崩込み、このため法廷は収拾すべからざる混乱に陥つた。弁護人は、此の混乱収拾のため、裁判所に意見を述べようとしたが裁判長はこれを全く顧りみず唯興奮してか立上つて何か叫び続けるという状態であり、又裁判長のそのような発言は法廷の何人に対しても聞えるような状態では全くなかつた。暫くして、弁護人は裁判長に、かかる訴訟指揮について異議を申立て裁判所は合議のため休憩した。

ところがその休憩の間に弁護人は、被告人の中三名が何時の間にか如何なる理由によつてか全く判らず退廷させられてしまつていることを始めて知つた。

而して休憩後、この事について裁判長に訊したところ、裁判長も休憩中に知つたと言ひ、その根拠について裁判長は、「退廷を妨害する者を退廷させよと警備員に命じた」という。「然らばその者に対し退廷を命じたか」と尋ねると、「警備員に対する命令の中に含まれている」と強弁し「それならば、誰が何をしたか、或は退廷させられた被告人が果して妨害的行為をしたかしないかを確認したか」と尋ねると、「警備員は忠実にやつている筈だから間違つていない筈だ」という凡そ裁判所自らその権威を否定するような驚くべき独断を以てこれに答えた。元来本事件に於ける浜口裁判長の訴訟指揮権の行使については、被告人、弁護人の側に於ては、幾多の批判を持ち続けて今日に至つたのであるが、右の如き法廷警察権の濫用に及んで、ついに茲に於てかかる裁判長についてはこの理由だけによつても今後の訴訟の公正を期し難いと考えざるを得なくなり、浜口裁判長に対し改めて右の原因により不公平な裁判をする虞あるものとして忌避の申立をなした。

而も裁判所は、前記裁判長の法廷警察権行使の処分、即ち最初の不特定傍聴人に対する事前の退廷執行の指示、かかる違法な訴訟指揮に対し異議申立中の被告人に対する退廷命令その即時執行命令、更には裁判長自身も確認し得ざる対象に対する警備員の実力的退廷強制の是認(即ち、不特定被告人に対する退廷命令なき執行命令)に対する弁護人の異議の申立を不適法なる申立として却下した。而してその際刑事訴訟法第二八八条第二項の「裁判長の処分」は第三〇九条第二項の「裁判長の処分」の中に入らない、即ち異議の対象とならないという驚くべき法解釈を示した。茲に於て弁護人は、今後この法廷に於ては裁判長の如何なる法廷警察権の行使についても、異議を述べることができないだけでなく、かかる明白に違法な法解釈を敢えてする当該裁判所に対してはこれだけで今後の裁判の公正を到底期待できぬとの結論に達し、更に前記三裁判官に対する忌避の原因を追加した。

(なお第四組の昭和二十八年九月二十二日の公判調書によると被告人及び弁護人が忌避申立の原因につき縷々陳述していることを認め得るが、その要旨は畢竟するに以上一乃至三に記述したところに尽きると認められるのであつて、このことは、右被告事件の他の組についての忌避申立書の第二項に於いて第四組の公判でした忌避の申立につき『そこで以下詳述する理由(すなわち以上一乃至三の原因)により裁判所が不公平な裁判をする虞があるものとして前記三裁判官に対して忌避を申立てた。』としている点からも右の如く考えられるのである。)

右被告事件の第一乃至第三、第五及び第六の各組についてなされた忌避申立の原因の要旨は、以下記述するところの外、前掲一乃至三と同一である。

右の各組については、第四組の前記公判期日に引き続き証拠調決定のための公判期日がそれぞれ指定されていたが、裁判所は、第四組の右期日に前叙のとおり忌避の申立があつたので、他の各組に指定していた期日を職権で取り消した。そのため右各組については証拠調決定が行われるに至らなかつた。しかしながら、本件騒擾被告事件は同一事件の全被告人を六組に分けこれを同一裁判所で併行的に各組毎に順次審理を行う方式が採られておるが、右の六組は、途中で一度組替えがなされたため形式的にも旧組分け各組の被告人が新組分け各組に夫々入り混つており、且つ、実質的にも本件全体を同一事件として審理が進められており、従つて各組の公判における訴訟当事者の陳述、請求等は、実質的には全被告人について関連性あるものとして審理が進行されているのであつて、このことは裁判所、検察官、被告人及び弁護人がすべて諒解して来たところである。このような点を考えると、第四組について生じた前掲一乃至三の忌避申立の各原因は、すべて実体的にその余の各組についても共通するものと言い得るのである。すなわち、第四組につき前叙のような証拠調の決定を行い、法廷秩序維持の処分を行う裁判所は、未だそれを行つていない右の各組についても同様に不公平な裁判をする虞が十分に存するので忌避を申立てる次第である。

よつて当裁判所の判断を述べることとする。

一、まず第四組関係の忌避申立について判断を進めるが、本件騒擾等被告事件の記録及び弁護人提出の忌避原因等疎明書に徴すれば、本件被告人等はこれを六組に分け、現段階に至るまでは併行的に順次審理を続ける方式がとられており、各組の公判で現段階までになされた手続は必ずしも形式的にすべて一致してはいないが、各組の公判における訴訟関係人の陳述、請求等(但し、個々の被告人についての各論的部分に関するものは除く)は現段階に至るまでは実質的には本件被告人等の全部について関連性があるものとして手続が進められて来ていることを窺知することができるのであつて、以下これを前提として考察を進めることとする。

本件騒擾等被告事件の記録及び弁護人提出の忌避原因等疎明書によれば、以下(一)乃至(七)の事実が認められる。

(一)  検察官が被告人、弁護人等の求めにより次の如きことを釈明陳述した。

(1)  本件起訴状記載の公訴事実中罪となるべき事実の範囲は「在日米軍司令部附近に到るや……」以降の暴行脅迫に在るのであつて、それ以前に記載された事実は「事情」である(第三組の昭和二十八年二月二十日、第六組の同年三月十三日の各公判調書参照)。

(2)  在日米軍司令部附近の暴行脅迫が本件騒擾罪の始期となり集団はこの時から暴行脅迫をなし又はなす意思を継続して二重橋前に至つたものである(第四組の同年三月十日、第五組の同月十一日の各公判調書参照)。

(3)  デモ隊が馬場先門を突破してから二重橋に至るまでの間においては暴行脅迫の意思は依然として存続していたが、現実には暴行脅迫を行つてはいない(第四、第五組の前掲各公判調書参照)。

(4)  二重橋前における警察職員の解散の措置は昭和二十五年東京都条例第四四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例(以下「公安条例」と称する。)第四条、警察官等職務執行法第五条に基くものである(第二組の同年二月十八日、第一組の同年三月三日の各公判調書参照)。

(二)  被告人、弁護人等は刑事訴訟法第二九一条第二項の陳述の機会において次の如き主張をなして公訴棄却の裁判を求めた。

(1)  本件発生当時の日本人民は米国とその手先である吉田政府の手によつて国土とその他一切のものを強奪され、日本は米国の植民地と化し、又経済は基地経済化し国土は侵略戦争の基地とされていた。そのため国民の基本的人権は蹂躪され、剰え政府は年一度の働く者の祭典であり全部の労働者が団結の威力を誇示すべき日であるメーデーに対し、政府は人民広場の使用を禁止しこれに対する適法なる訴訟上の救済の途すら無視するに至つた。いわば国民は急迫不正の侵害を受けていたのである。本件はかかる急迫不正の侵害に対し愛国のためこの国土と国民の基本的人権を守り、戦争の危険を取除くため止むことを得ずして正当防衞行為に出でたものであり、これは又政府の圧政に対する人民の抵抗の権利の行使でもあるから当然罪とならないものである。即ち本件の起訴状記載の公訴事実はたとえ真実であつても何ら罪となるべき事実を包含しないから刑事訴訟法第三三九条第一項第一号により公訴を棄却すべきである。

(2)  検察官はデモ隊が当日午後二時二十分頃在日米軍司令部の附近において騒擾を開始したというけれども、それは事実に反する。即ち同所から二重橋前に到る間は騒擾罪を構成するに足る暴行脅迫もしなければ静謐の阻害という結果もその抽象的な危険もなかつた。殊に検察官の釈明によれば馬場先門から二重橋前までの間デモ隊は単に暴行脅迫の意思を継続していただけであり、しかもそれは他の者が集団に対して何もしなければ集団も何もしないという通常のデモと全く同じだということを検察官自ら認めているのである。ところがその後二重橋前においてこのデモ隊に対し警察官側がいわゆる制止解散行為を行つたため本件の事態が発生したのである。ところがこの警察官の制止解散行為の法的根拠として検察官は警察官等職務執行法第五条と東京都公安条例第四条とを挙げているけれども、この場合警察官等職務執行法第五条を適用すべき条件を欠いていたし、公安条例は違憲無効であるから右制止解散行為は違法である。仮に公安条例が合憲有効であるとしても、当日の制止解散命令は警察長でないものにより発せられたものであるから無効であり、たとえ警察長から事前に委任があつたとしてもかかる委任は不適法である。仮に当日の解散命令が適法であるとしても解散命令の告知前に事実上武器の使用による制止解散行為が行われているし、なお当日の警察官のとつた制止解散行為はその程度を超え職権を濫用したものであるからそれ自体違法である。従つて右の理由のいずれからしても当日のデモ隊が警察官に反撃を加えたのはまさに正当防衞であり明らかに罪とならないものであるから前同条により公訴を棄却すべきである。

(3)  検察官は当日デモ隊は在日米軍司令部附近において騒擾罪の成立に必要な暴行脅迫を開始したというが、起訴状の記載自体と検察官の釈明とを併せ考えても到底一地方の静謐を害するに足る暴行脅迫があつたとはいえない。又起訴状にはその後デモ隊が暴行脅迫の限りを尽くしその間数時間に亘り同上地帯の電車、自動車等の交通をも杜絶、阻害せしめるに至らしめ附近一帯の静謐を害しと記載してあるけれども、右記載自体とこれに対する検察官の釈明とを併せ考えても、到底騒擾罪の成立に必要な一地方の静謐を害したとはいえない。即ち本件起訴状の記載は何ら罪となるべき事実を包含しないから前同条により公訴を棄却すべきである。

(4)  起訴状には「かねてより広場を暴力を以て占拠することを企図し」とあるけれども、さような企図をした事実もなく、又その必要も存在しなかつた又、当日メーデーに参集した大衆の中の一部の分子が広場の占拠を企て、これに向つて行進をしたように記載してあるけれども、当日広場へ行こう、広場でメーデーをやろうということは決して一部の者の考ではなく、当日参集した者の全部の考であつた。本件の原因は検察官のいうが如き一部の分子の広場占拠の陰謀から起つたのではない。政府が広場の違法に使用禁止をしたのは政府がこれによつて国民の強い抵抗に遭うであろうことを知りつつ予め国民を挑発し、これを機会に国民を弾圧し、本件をデツチ上げ、罪を国民に転嫁し、未曾有の悪法たる破防法案、労働法規改悪法案を通過させる道具として使用したものである。そういうわけであるから、当日警察当局は労働者が広場へ行進するであろうことを予見しつつ殊更にこれを日比谷交さ点その他途中で阻止することなく広場へ進ませ、この行進をさせることによつて故意に公安条例違反の口実を作り、然る後公安条例第四条違反ということで労働者を叩くという名目を作つたのである。而して被告人を起訴するに当つても何ら証拠もないのに事件をデツチ上げて起訴している。

(5)  本件の公訴は刑事訴訟法第二四八条の規定する起訴便宜主義を濫用し同法第一条に違反する違法な起訴である。即ち警察側の不法な行為は追及せず、デモ隊側のみを一方的に追及し、訴追するのみならず、デモ隊を訴追するに当つても時の政府の政策に迎合し政策的に特定の政党或は労働組合等の団体等を弾圧するためまず比較的弱いものを逮捕投獄し拷問脅迫により供述を強制し、その虚偽の供述を利用して政党、労働組合等の団体における活動家を逮捕、投獄し、ほしいままに起訴したものであつて公訴提起の手続が違法であるから刑事訴訟法第三三八条第四号により公訴を棄却すべきである。

(6)  その他形式的手続的な理由による公訴棄却の主張。

(三)  裁判所は、右の陳述に対し、その各項目にわたり裁判所の一応の見解を説明したのであるが、右の(二)(2)の主張に対し「併しながらとにかく検察官は、在日米軍司令部附近において騒擾が始まつて集団として暴行脅迫をなし又はなす意思を継続しておりこれに対し公安条例、警察官等職務執行法により制止解散行為をなしたと主張しておるのであり、仮に公安条例が違憲無効又は警察長以外の者の受任による解散命令が違法無効であり、又解散命令告知前の事実上の解散処置が公安条例上許せないとしても、検察官のいう既に始まつている暴行脅迫の鎮圧等としての措置の問題は解決されないのである。この点の判断及び制止解散行為が職権濫用として違法の程度であつたかどうかは、いずれも証拠調により事実を確定した上で判断すべきものと考える」と説明し(第一組の昭和二十八年六月三十日、第二組の同年七月一日の各公判調書参照)、又被告人、弁護人の公訴棄却の主張に対する一応の見解の結語として「以上をもつて簡単ではあるが被告人、弁護人の主張に対するこの段階における裁判所の一応の見解を説明したわけであるが、元来公訴棄却の問題は訴訟を進めて行くために必要な法律上の要件即ち訴訟条件が備わつているかどうかという重大な問題である。若しこれが欠けているということが明らかになれば、裁判所は被告人及び弁護人の申立てざる理由によつても公訴を棄却すべきであるから、当裁判所は今後も事件の審理の経過において絶えずこの問題を検討して行くこととする」と結んだ。これに対し弁護人は「検察官のいう既に始まつている暴行脅迫の鎮圧等としての措置の問題は解決されないのである」との個所は検察官が左様な主張をしたということは記録上認められないからとてその撤回を求め、結局裁判所は被告人、弁護人の(二)(2)の主張に対し次の如く説明を改めた。即ち「仮に本件が弁護人等が主張するように警察職員の制止解散行為に端を発したものであつて都公安条例が違憲無効である等弁護人等主張の理由により同制止解散行為が違法無効なものであるため、かかる行為に対しては正当防衞が許されるとしても、本件における当初の制止解散行為が刑法第三六条に規定するが如き侵害であつたか又弁護人等において正当防衞なりと主張する集団側の行為が同条に規定する権利の防衞に必要な範囲に属するものであつたか等について判断しなければならぬ。それがためには、右制止解散行為当時における警察職員側及び労働者側の各行為の態様や程度を証拠によつて確定する必要があり、かような意味においても、本件においてはまず事実審理を十分につくし而して後弁護人等の主張する法律問題を判断したいと考える」と。(これが各組を通じてのこの点に関する裁判所の最終的の説明である。もつともこの点に関する説明はそれ以前、第三組について昭和二十八年七月三日の公判期日において当初の説明に補足説明(同日附公判調書参照)が追加され、また第四組について同月七日の公判期日において当初の説明に右の各組を通じての最終的な説明が附加されたことがあつたが、結局各組とも最終的には右のとおり改められたのである。)

(四)  検察官は証拠調の請求に当り、前記(一)(1)記載の「事情」の点についても証拠の取調を請求し、これに対し弁護人は証拠調は弁護人等の公訴棄却の理由として主張したことに関連してなされてこそ始めて意義があり、又裁判所は自ら示した弁護人等の公訴棄却の要求に対する見解の中でも神宮外苑広場からデモ隊が皇居外苑広場に進入して行くまでの過程即ち少くとも馬場先門到着までの過程については特にどの点の証拠調をしなければ判断ができないという一応の見解は何ら説明されていないから、右の「事情」について証拠調をすることは不要且不当であり、又検察官の「事情」の点についての証拠調の請求は故事来歴を積み重ねることによつて在日米軍司令部前で騒擾開始という根拠のない主張をいくらかでも理由ありげのように見せかけ、そして広場の中において真に労働者が暴徒であつたかなかつたかという第一義的な問題についての証拠調を行う前にそれについての不当な予断を与えようという不法な意図が存在するから、かかる証拠を取調べることは不要且不当であるなどという趣旨のことを述べて右の証拠調に反対した後被告人側の証拠調の請求をした。

(五)  これに対し、検察官は、弁護人の見解は公訴棄却の主張と無罪の主張とを混同した結果の意見であり、裁判所が公訴棄却の主張に対する見解として説明した中において被告人及び弁護人等の公訴棄却の主張をとりまとめた点は被告人及び弁護人等の主張を一応整理要約したに過ぎないものであつて、右の如き被告人及び弁護人等の主張が全部直ちに公訴棄却の主張として法律的要件を充したものであることを認めた趣旨ではないと思料される。このことは裁判所が右主張に対する見解において実体を構成する事実を審理する必要があることを述べているところからも充分に察知できるところである。更に又騒擾の始期を明確にし、本件の真相を究明するためには本件の特殊性に鑑みこれが発生の経緯に関する審理が必要不可欠である等の旨を陳述した。

(六)  裁判所が第四組の昭和二十八年九月二十二日の公判期日において島上善五郎等二十六名の証人を取調べる旨の決定をしたが、これら二十六名の証人尋問の立証趣旨は前記「事情」を立証せんとするにある。

(七)  右公判期日において被告人、弁護人から右の証拠決定に対し刑事訴訟法第一条の違反を理由として異議の申立がなされたがこの申立は棄却された。その直後本件忌避の申立があり、被告人生井宇平の忌避の原因の陳述終了の際より被告人、傍聴人の多数が拍手を始めたため浜口裁判長はこれを制止したが、なおも拍手が続くので、裁判長は今後拍手をなす傍聴人は退廷せしめる、警備員は今後拍手をする傍聴人に対しては裁判長の命をまたずして直ちに実力を行使して退廷せしめるよう措置せよと警備員に指示を与えたところ被告人西貝京右衞門が裁判長の許可なく発言台に出て発言を始めたので、裁判長はその発言を禁止し着席するよう再三命令したが同被告人はこれに応ぜず、なお傍聴人席に向つて発言しかけたので、裁判長は同被告人に対し退廷を命じた。ところが同被告人はこの命令に応じなかつたので裁判長は警備員に対し実力を以て同人を退廷せしめるようその執行を命ずるや被告人の大半は立上り、その内数名は被告人西貝を退廷させないよう警備員の実力行使を阻止しようとしたので、裁判長は更に警備員に対し同被告人の退廷命令の執行を妨げる者は直ちに実力を以て退廷せしめるよう命令した。かくて、被告人生井宇平、同井上登、同岸野貞男は被告人西貝の退廷命令の執行を妨げようとしたため警備員により退廷せしめられた。これに対し、弁護人は(1)被告人西貝に対する退廷命令(2)拍手した傍聴人は警備員において裁判長の命をまたず実力で退廷せしめよとの裁判長の指示(3)被告人西貝の退廷命令の執行を阻止しようとする者に対しては裁判長の命をまたず警備員において実力を以て退廷せしめよとの裁判長の指示に対し異議の申立をしたが、裁判所は刑事訴訟法第三〇九条第二項の裁判長の処分には裁判長の法廷警察権行使に関する命令(裁判所法第七一条第二項)は含まれないから右異議の申立は不適法であるとして、これを却下した。

(八)  ところで原因第一点についてであるが、真先に前記の如き「事情」について証拠調をすることは罪となるべき事実の存否の立証から開始すべき証拠調の根本原則に違反するとの被告人、弁護人の見解には遽に賛意を表し難い。蓋し、通常の場合には証拠調が罪となるべき事実の存否から始められるべきことは当然であろうが、これを絶対の原理となすべしとする刑事訴訟法上の要請は存在しないものと解するのであつて、案件の如何又事情の如何によつては罪となるべき事実以外の事実についてまず証拠調を行うことも考えられないことはないのみならず(情状に関する証拠の取調が何らかの事情により急速を要するが如き場合がその一例である)、右のいわゆる「事情」とは単なる情状の如きものとは異り、この点についての証拠調は、直接的には罪となるべき事実を立証することにはならないとしても間接的に罪となるべき事実の存否の立証に役つものと認められるのであつて、畢竟するに罪となるべき事実についての証拠調の一部に外ならないものと考え得るからである。従つて又、本件において「事情」の点から証拠調をすることが裁判所に不当なる偏見予断を抱かせるとの点についても当裁判所としてこれを容認できないことは勿論のことである。

(九)  次に第二点についてであるが、裁判所が被告人、弁護人の公訴棄却の主張に対する一応の見解を述べるに当り、「検察官のいう既に始まつている暴行脅迫の鎮圧等としての措置の問題は解決されない云々」と述べたことは前記認定のとおりであるが、これは前記認定の如く検察官が在日米軍司令部附近の暴行脅迫が本件騒擾の始期となり、集団はこの時から暴行脅迫をなし又はなす意思を継続して二重橋前に至つたものであること及び二重橋前における警察職員の解散の措置は公安条例第四条、警察官等職務執行法第五条に基くものであると釈明陳述したので、裁判所としては仮に右条例が違憲無効であり又この解散の措置が右条例上許せないものだとしてもこの解散の措置が警察官等職務執行法第五条による制止行為として適法有効なものかどうかの問題が残ることとなるので、この観点から「検察官のいう既に始まつている暴行脅迫の鎮圧等としての措置の問題は解決されない云々」と述べたものと考えられるのである。然りとすれば、かかる説明をしたことは何らこれを咎むべき筋合のものではなく、況んや被告人にとつて不利な誤を犯したものとはいい難いのである。尤も前記認定の如く裁判所は後に至りこの点について説明を改めたのであるが、これがいかなる意図に基くものかは記録上からは必ずしも明瞭ではないのであるが、かくの如く説明が改められたのは右認定の如き事実関係に徴すれば、決して裁判所が先の説明を誤まりであるとしてこれを是正する意味においてなしたものではなく、結局においては同一のことを言つたのではあるがその表現方法を改めて主として結論のみを述べるということにしたに過ぎないものと考えられるから、かくの如く説明を改めたという事実も又何ら右認定を左右するものではない。

更に又裁判所が被告人、弁護人の公訴棄却の主張に対し裁判所の一応の見解を説明したことは前記認定のとおりであるが、この説明なるものはこれを虚心に通読すれば決して被告人、弁護人が主張している如く被告人、弁護人の公訴棄却の主張について真先に証拠調をするとか或は又まずその公訴棄却の主張に関係があるところの証拠から取調を始めるとかいう趣旨のものとは到底受取り難く、寧ろ被告人、弁護人の右の如き主張を考慮に入れつつ実体的事実関係についての証拠調に入るという趣旨のものと受取るのが相当である(なお、この点については第一組の昭和二十八年七月十四日の公判調書のうち、「裁判所の見解の一部変更に対する釈明等」の項参照)。殊に被告人、弁護人の前記(二)(1)乃至(5)の主張は公訴棄却の主張とはいうものの、当裁判所の見解によれば畢竟これは無罪の主張に外ならないものと解せられるのみならず、その余の公訴棄却の主張(形式的手続的なものである。)については一応これを容認し難いとの見解が説明されている(このことは本件騒擾等被告事件の記録上明らかである。)ことに思を到せばまさに然るものといわざるを得ない。然りとすれば裁判所が今回なした証拠決定は決して裁判所が自ら示した意見と全く縁も因りもないものではないのである。被告人、弁護人は裁判所が実行の意思なきに拘らずその意思あるかの如くに装つて問題をそらして訴訟の進行のみを図るための食言を敢てしたと論難するけれども。以上の説明に徴すれば、これは裁判所の前記の如き公訴棄却の主張についての説明を誤解した結果に外ならないものと考えるの外なく、即ち当裁判所としては第二点の忌避の原因を容認することはできないのである。

(十)  第三点についての被告人、弁護人の主張は、要するに昭和二十八年九月二十二日の公判期日における浜口裁判長の法廷警察権の行使を権限の濫用であるとし、又同日弁護人が公判廷で前記の如く浜口裁判長の法廷警察権行使の処分に対し異議の申立をしたところ裁判所がこれを不適法として却下したがかくの如く裁判長の法廷警察権の行使について異議の申立を認めないとすることは不当であるとの趣旨に帰するものと考えられる。よつてこれらの点につき考えて見るに、まず被告人西貝に対する退廷命令は前記認定によれば、同人が裁判長の許可なく発言台に出て発言を始め、裁判長の再三の着席せよとの命令にも応ぜず、なお傍聴人に向つて発言しかけたのであつて、かかる挙動はまさに不当な行状というべく、裁判長が同人に対し退廷を命じたことは何らこれを咎むべき措置とはいい得ないのである。又、裁判長が警備員に対して同人を退廷せしめるよう命じたのは同人が前記認定の如く退廷命令に応じなかつたからであり、これ又何ら咎むべき筋合のものではないのである。次に浜口裁判長が警備員に対し今後拍手をする傍聴人に対しては裁判長の命令をまたず直ちに実力を行使して退廷せしめるよう措置せよと命じたこと、被告人西貝の退廷命令の執行を妨げる者は直ちに実力を以て退廷せしめよと命じたこと及び弁護人が裁判長の法廷警察権の行使につき異議の申立をしたところ裁判所がこれを不適法として却下したことは前記認定の通りであるが、浜口裁判長及び裁判所のかくの如き処分又は見解が果して正当なものかどうかを判断するまでもなく、即ち仮に不当なものであるとしても、浜口裁判長及び裁判所がかかる指示又は決定をするにつき殊更に被告人、弁護人の不利益を図らうとの意図があつたことを窺わしめる何らの証拠はないのであつて、然りとすれば、浜口裁判長及び裁判所としては全く自己の信念から前記の如き法律上の見解をとつて指示又は決定をしたというだけのものに過ぎないものと考えるのが相当であるから、この一事を以て直ちに浜口裁判長以下三裁判官が不公平な裁判をする虞があるものとは考えられないのである。

なお、被告人生井等三被告人が警備員により退廷せしめられたのは、前記認定の如く被告人西貝の退廷命令の執行を妨げたからであるのみならず、右の如く浜口裁判長の警備員に対する指示そのものが仮に客観的には違法なものだとしてもなおこれを忌避の原因として容認し得ないものと解せられる以上これ又何ら忌避の原因としてこれを容認することはできないこと勿論である。

以上説明の如くであるので、第四組の被告人等のためになされた本件忌避申立及び被告人生井宇平、西貝京右衞門、吉田実雄がなした本件忌避申立はいずれもその理由がないものといわざるを得ない。

二、次に第四組以外の各組の被告人等のための忌避申立につき判断を進めることとするが、これら申立の原因はすべて第四組の申立の原因と実質的には同一でありしかも第四組の申立の原因についての当裁判所の判断は前記説明の通りであるから結局この申立を理由がないものといわざるを得ない。

最後に当裁判所としては、本件騒擾等被告事件の記録及び弁護人提出の疎明資料を逐一検討したが、他に浜口裁判長以下三裁判官が不公平な裁判をする虞があることを疑わしめる事由はこれを発見することができなかつたのである。

以上の理由により本件忌避申立はすべてこれを却下することとして主文の通り決定する。

(裁判長裁判官 栗本一夫 裁判官 田口邦雄 裁判官 月山桂)

<以下省略>

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